ゴーバスのロウソクロイドの攻撃を見て思いついた赤桃話。季節は夏。
丈瑠はいつものように起きて、志葉邸の庭に出る。今日はなんだか霧が濃い。朝稽古で流ノ介と千明は手合わせをし、ことははひとりで稽古をしている。何も変わりないいつもの風景だ。だがこの違和感はなんだ?
「流ノ介、誰か足りないような気がするが…?」
「おはようございます、殿。源太だったらいつも仕入れで朝稽古になど来たことはありませんよ」流ノ介は笑い、稽古に戻る。
「イヤ、源太じゃなくてだな…」
稽古を終え、ことはをふと見る。ことははいつも1人だっただろうか? そんなことはに千明が声をかけていた。
「ことはは女の子1人で大変だな。こんなうるさいやつもいるし」
「何ぃ、それは誰のことだ」
「もう流さんも千明もやめてよ」
丈瑠の脳裏を何かがかすめる。誰だ?
「殿、どうしたんです? 何かおかしなことでも?」流ノ介が心配そうに見ていた。
「何でもない」
奥座敷でいつものように黒子が用意した朝食を食べる。いつだったか家臣の一人が料理を作ってくれた。料理を作るのが好きだと言っていたが、あれは誰だったろう? 部屋の中でももやがかかったような違和感がずっとある。今日はナナシも現れないが、部屋にいるのも落ち着かず街へ出た。丈瑠が一人で出掛けることがないので、彦馬は不思議がっていた。
そうだ、あいつはいつも一人で出掛けてた。本を買いに行ったり、ときには源太の屋台にいたこともあった。誰だ? どうして誰も覚えていない?
目の前を髪の長い女性が通り過ぎた。目の大きな色白の美少女で薄いグレーのTシャツにデニム。すれ違うその女性の腕をとっさに丈瑠は掴んでいた。女性は、驚いて丈瑠を見た。不審そうな顔を向ける。
「なんですか?」聞きなれた懐かしい声だった。だけどずいぶんよそよそしい。俺はこの人を知っている、名前を呼ばなければ…
「茉子」自分の声で目が覚めた。
「あぁやっと目が覚めたのね」茉子が丈瑠の顔を覗きこんでいた。
「殿、よくぞご無事で」流ノ介は目を潤ませて、千明もことはも心配そうに丈瑠の枕元にいた。
「アヤカシに催眠をかけられて、みんな悪夢を見せられておったのですが、殿だけがなかなか目覚めなかったのですぞ」彦馬が言う。皆それぞれアヤカシの術にかかったが、何とか目を覚まし、アヤカシを倒したのだと言う。
「よかったなぁ…と言いたいところだがなんだその手は」源太に言われ、己の状態を確かめると、茉子の手首をしっかりとつかんでいた。「いい加減放してやれよ」
「わ、悪い」
「実はちょっと痛かったんだよね」茉子は手首をさする。茉子の手にはしっかりと丈瑠の指の跡がついていた。思いの外しっかりと握ってしまっていたらしい。
「ったくよぉ、どんな夢見てたんだよ?」千明は、茉子の手首をさすっていることはを横目に丈瑠に話しかけてきた。
「丈ちゃんって言ったらお化け屋敷だろう、やっぱり」
「あのアヤカシはその人にとって怖いものを見せて、恐怖の中死なせるんだそうです。私などたくさんのサボテンに囲まれ…」流ノ介はそのときの恐怖がよみがえったのか、少し顔が青ざめている。
「でも、丈ちゃん『茉子』って言ってたよな? 茉子ちゃんと一緒にお化け屋敷に行ってたんだったら、悪夢じゃねぇよなぁ」
「こら、お前達。枕元でうるさい。お前達も疲れただろう。さっさと休め」彦馬も自ら部屋を出、丈瑠はひとり部屋に残された。体を起こし、さっきまで茉子の手首を掴んでいた自分の手を見た。
お化け屋敷…そんなものじゃない。
「丈瑠」部屋の外から声がした。
「入っていいぞ」茉子が障子の隙間から少し顔を覗かせ、そっと部屋に入ってきた。
「疲れているのにごめんね」
「イヤ、お前達の方がアヤカシも倒して疲れたろう」
「丈瑠、どんな夢見てたの?」茉子は直球で聞いてきた。
「怖い夢思い出すのイヤかもしれないけど、わたしの名前呼んでたでしょ? 何だか気になって…もしかしてわたしのことそんなに怖いと思ってる?」茉子は少し不安そうな表情をしている。逆だ。違う。
「イヤ、源太の言ってた通りだ。茉子とお化け屋敷に行ってた」
「そうなの? なんだ、丈瑠にずいぶん嫌われてるのかと思った」安堵の表情を浮かべる茉子の自分の指の跡がまだ痛々しく残る手首を持った。
「もう大丈夫だから」茉子は少し恥ずかしそうな表情になる。いつも堂々と意見する癖にどうしてこんなときになるとこんな表情をするんだ。丈瑠はそのまま茉子を抱き寄せた。
「丈瑠…?」
「これから何があっても俺の前からいなくなるな」
「丈瑠の家臣なんだから丈瑠を護る」
「違う。そうじゃなくて」
「…分かった。よっぽど怖いお化け屋敷だったみたいね?」茉子は、からかうように笑い、背中に腕を回してきた。
「…違う」丈瑠の拗ねたような声がする。
「ところで茉子はどんな悪夢を見せられたんだ?」
「わたし…ホントに怖かった。丈瑠がいなくなっちゃうの」丈瑠が身を固くしたのを感じ、茉子は慌てて弁解した。「ごめんね、本人を前に縁起の悪いこと言っちゃって。でも夢と分かって安心した。夢だよ、ただの夢」最後は丈瑠に優しく言い聞かせるような口調になった。
「…同じだ」
「え?」
「恥ずかしくて言えなかったが、俺が最も恐ろしいのは茉子のいない世界だ。あんな想い、二度とごめんだ」茉子が俺を知らずに生きる世界。考えたくもない。
「丈瑠…」茉子が潤んだ瞳で丈瑠を見上げて、そっと目を閉じる。丈瑠が茉子に顔を近付け…
「殿、少しは落ち着きましたかな?」障子越しに彦馬の声がして、2人は慌てて体を離した。
「あ、あぁもう大丈夫だから爺ももう休め」大慌てで言い繕う丈瑠に茉子は必死で笑いをこらえた。
「そうですか。では」彦馬のかすかな足音が遠ざかる。
2人は顔を見合せて笑ってしまった。そして再び2人の影は重なった。