初夏くらいの殿茉子
初めて会ったのは、2月の寒い時期だった。茉子は短大を卒業し、幼稚園でアルバイトをしていた。そこに突然の召集。小さい頃から聞かされきたこととはいえ、具体的な召集の時期も分からず、それまで志葉家の殿様や他の家臣達にも一度も顔を合わせたことはなかった。
白い馬に乗って登場した殿様を見て、茉子は少し拍子抜けした。自分と同じ年くらいの青年だったからだ。何となくもっと威厳のあるおじさんだと勝手に思っていた。だが、戦えばやはり強い。寡黙だが、時にシビアなことも平気で口にするため、反発したくなることもあった。
だけど、いつからだろう。茉子は自然と丈瑠を目で追うことが多くなった。気付かれないようにそっと。だが、丈瑠とよく目が合うのは、自分自身が見てしまっているせいだと思い、それをやめようとも思った。それでも視線を感じるとその先に丈瑠がいた。
そんなとき、アヤカシの探索で偶然一緒になったことがあった。五人一緒のこともあれば、二人、三人と分かれても丈瑠と二人になることはまずない。しかしその探索も今日は収穫なしで後は帰るだけになった。他のメンバーなら帰りにお茶することもあったが、丈瑠はすぐに帰路に着こうとしていた。屋敷の中でもあまり二人きりになるチャンスはなく、ここぞとばかりに茉子は話しかけていた。
「丈瑠、あのね、わたし気になるものがあるとじっと見つめてしまう癖があるみたい。だから、丈瑠のこと見てるかもしれないけど、気になってたとしたらごめんね」
「俺は気になったことはない」あっさりと丈瑠に返され、茉子は恥じた。よく目が合うと思っていたのは自分だけで、丈瑠の目には入っていなかったんだ…自意識過剰。「あ、そう。それならよかった」自分でも顔が赤くなるのを感じたが、わざと軽く言って丈瑠を追いこすように先を歩いた。さらりとなびいた髪に丈瑠は見とれた。
「気にならないというのは、不快だとかそう思ったことはないということだ」茉子がふり向くと、丈瑠はすぐそばまで来ていた。
「…俺も最近気付くとよく見てる」二人は並んで歩きだした。
「そうなんだ?」茉子は照れ隠しに明るく尋ねてみた。
「話をしてみたいと思うこともある。それと触れてみたいとも思う」
「へー、そう」丈瑠のストレートすぎる言葉に茉子は内心驚いていたが平静を装った。
「茉子はどうなんだ?」
「わたしは…丈瑠のことをもっと知りたい」茉子は素直な気持ちを言った。
「そうか」丈瑠は黙ってしまった。寡黙だけど強くて、時々見せる笑顔は年相応の青年だった。でも、まだ丈瑠のことを何も知らない気がする。
「変なこと言っちゃったね。丈瑠は一緒に戦う仲間でいい奴だっていうのは知ってるのにね」
「イヤ…俺も茉子のことは知りたい。夢の話を聞いたときは正直驚いた」
「お嫁さん? そんなに意外?」
「まぁな」二人の会話は途切れ、帰り道を歩いていた。
「もう少しで着いちゃうね」
「うん」
「…丈瑠のこと好きかも」つぶやくように思わず口をついて出ていた。
「うん」丈瑠が手をつないできた。
「またこうして歩いてくれる?」
「うん」丈瑠の手に力が入る。茉子も手を握り返した。ほどなく志葉邸が見えてきて、二人はどちらともなく手を離した。屋敷の中から流ノ介と千明の言い争う声が聞こえている。
「相変わらずだね」
「仕方のない奴らだ」丈瑠は茉子を向いて、やれやれというような顔をして、少しだけ笑顔を見せた。
ほんの少し前まで顔も名前も知らない仲間達と今は喧嘩しながらも同じ目的に向かって歩いている。最近大分打ち解けて来たが、お互い知らないこともまだ多く、どこに魅かれあっているのかもはっきりしない。だけど、この想いは間違っていない。茉子は志葉家に入っていく丈瑠の背中を見てそう思った。