最終幕直後の殿茉子。少し暗いかも。<寄稿文>
茉子は丈瑠への想いを頭の中から追い出そうと必死だった。だけど、一緒に過ごすうち想いは大きくなった。丈瑠は何かを抱えている。だけどそれを誰にも話そうとはしない。
わたしじゃ、ダメなの…?
その後、丈瑠の秘密を知ることになった。丈瑠が命懸けで守ってきた秘密。あれから丈瑠とゆっくり話す機会もなく姫も含めた七人は戦った。
戦いが終わって、いよいよ別れのとき。荷物をまとめていたとき部屋の外から声がした。
「茉子、ちょっといいか」
「どうかした?」茉子が障子を開けると、そこに丈瑠が立っていた。
「…少し話をしないか」
「いいけど何?」茉子はなるべく素っ気ない態度をとろうとし、くるりと後ろを向いて先程の作業を続けた。白石家当主としては余計な恋愛感情なんていらない。まして丈瑠は志葉家の当主で好きになってもどうにもならないんだから。茉子はずっと心の中で言い聞かせ続けた。
「茉子、こっちを向け」
「…何? まだ荷物がまとまってなくて忙しいの」茉子は丈瑠の顔を見ることができなかった。
「…!」茉子は丈瑠に急に後ろから抱きすくめられた。
「茉子」茉子を抱きしめる丈瑠の腕に力がこもる。
「丈瑠…苦しいよ」
「好きだ」丈瑠の口から初めて聞いた言葉だった。
「丈瑠?」
「好きだ」
「…丈瑠…」
「今までずっと我慢してたけど、やっと言えた」
「わたしたちじゃダメだよ」
「茉子は俺が嫌いか?」
「わたしは白石家の…」
「茉子、俺の質問に答えろ」
「…無理だよ」丈瑠の力が弱まった。
「悪かった。ただ自分の気持ちだけは伝えたかった」
丈瑠がはっきりと自分の想いを伝えてきたのは初めてだった。茉子にとってずっと待っていたような、だけど聞いてはいけないような複雑な心境になっていた。
「…自分の気持ち、優先させていいのかな」
「茉子…」
茉子が思いつめたような表情で丈瑠を振り返り、言葉を絞り出した。
「…最後にもう一度ぎゅーっとしてもらってもいい?」
「最後なんて言うな」丈瑠が茉子を抱きしめた。
「丈瑠の強さに憧れてた。丈瑠、なんて呼んでたけど、内心じゃ殿様として尊敬してたんだよ」
「ホントか?」
「ホントだよ。もっと支えになれたらなぁってずっと思ってた」丈瑠の胸で茉子はつぶやく。
「…十分支えになってた」
「そう? 全然そうは見えなかったけど」
茉子が丈瑠の顔を見上げてほほ笑む。丈瑠は拗ねたような表情を浮かべた。
「殿~、どちらにいらっしゃいますか、殿~」廊下の向こうから彦馬の声がする。
「…邪魔が入ったか」丈瑠がため息をつく。「あとでな」
丈瑠が立ち去った後、茉子はそっと右手で自分の唇に触れた。唇も右手もかすかに震えていることに気付いた。
(これで丈瑠ともちゃんとお別れできるかな)
「茉子ちゃん、そろそろ奥座敷に行かへん?」
ことはが茉子の部屋に入ってきた。
「うん、行こうか」
茉子はことはと廊下を歩き出す。中庭に接した外廊下に柔らかな日差しが入り込んでいる。
「さっき殿様とすれ違ったんやけどな、なんか変やった」
「今日はみんなとお別れだし寂しかったんじゃないかな」
「うーん、そういうんじゃなくてな…あれ? 茉子ちゃんもなんか顔赤い…」
「ことは、早く奥座敷行こ!」
「うん」ことはがそっと手を繋ぐ。こんなにかわいい妹分とも今日でお別れだ。
「もうすぐ春だね」ことはがにこやかに話しかけてきた。
「いつかことはのとこに遊びに行ってもいい?」
「え? ホンマ? 茉子ちゃんが遊びに来てくれるなんて嬉しい」
「ハワイに行くからすぐには行けないけど話したいこともあるし」
「一緒に暮らしていたのに案外ふたりきりになれんかったもんね。いつも千明が邪魔するんやもん」ことはが頬を膨らませながら言う。
「ことはったら」(千明が聞いたらがっかりするだろうなぁ)思わず苦笑してしまう茉子だったが、まっすぐ慕ってくることはの気持ちが嬉しかった。
奥座敷に流ノ介、千明、遅れて源太がやって来た。最後に丈瑠が奥から出てきていつもの場所に座る。みんなもそれぞれの場所に座った。流ノ介は何か思うところがあるのか丈瑠の正面を陣取った。
丈瑠が一人一人に言葉をかける。流ノ介は別れの舞を披露した。茉子は何を言われても泣いてしまいそうで、「人見知りは治した方がいいかも」なんて先手を打ったのに、丈瑠が素直に「あぁ」なんて笑顔で返すものだから、ますます泣けてきた。
何とか泣くのをこらえてピンクのスーツケースを持って志葉邸を出た。振り返ればいつもみたいに掃除をしている黒子達。
(さよなら)茉子は心の中でつぶやいた。
「茉子」丈瑠が志葉邸から出てきて茉子のそばに来ると、茉子の頬をそっとなでた。知らず知らずに涙が流れていたらしい。
「ひどい顔してるよね」
「…だな」
「普通は『そんなことない』とか言うもんじゃないの?」泣き笑いの茉子が丈瑠を見上げる。茉子の右頬を覆うように置かれた丈瑠の左手に茉子が右手を重ねた。
「丈瑠の気持ち、嬉しかった。わたしも同じ気持ちだから…あ~あ言っちゃった」
「何だその言い方は」
「だってこんなこと言うつもりなかったし、泣き顔も見せずにきれいにさよならするつもりだったんだよ」丈瑠の左手をそっと自分の頬から離し、茉子はうつむいた。
「さっき『あとでな』って言っただろ。話は終わってない」そういうや否や丈瑠は片手で茉子のスーツケースを軽々と持ち、一方の手で茉子の腕を掴んで志葉邸に向かって歩き出した。
「ち、ちょっと…」
「立ち話で済む話じゃない。時間がないからな。茉子のことだ、ぼさっとしてるとハワイに行って、あっという間に見合いでもしそうだ」
「…そのつもりだったよ、今の今まで」
茉子の言葉に丈瑠の足が止まる。
「自分の気持ちに蓋するのもうやめる」丈瑠は振り向いて無言で頷いた。
玄関には彦馬が立っていた。
「殿、先程はどうなされたのです? 慌てて飛び出して行って…茉子も一緒か。どうした? 忘れ物でもしたか?」
「あぁ忘れ物だ。茉子の両親に到着が遅れると伝えてくれ」茉子が言うより先に丈瑠がさっさと答えた。彦馬は何か言いたげな表情をしたが、そのまま二人を見送ってくれた。丈瑠は茉子のスーツケースを持ってそのまま丈瑠の部屋に向かっている。少し戸惑いながらも茉子はその後を追う。
「今日こそ一緒に月を見るんだ」
「そうだね」
「…まぁ見る暇はないかもしれないが」
「丈瑠!」茉子は真っ赤な顔をして丈瑠を睨む。丈瑠はそんな茉子に珍しく声を上げて笑った。
「ホントはハワイになんて行ってほしくはないけどな」背中を向けて歩き始めた丈瑠がぼそっと言った。
さっき廊下を歩いたときより日は高くなり、この季節にしては暖かい。先程の彦馬の表情を見たときにハワイに住む両親、ずっと侍として育ててくれた祖母のことが一瞬浮かんだ…問題はたくさんあるだろうが、一度吹っ切れた気持ちが茉子を強くした。今夜もこのまま晴れてくれたらいいな。
「丈瑠…好きだよ」丈瑠の背中にこっそりつぶやいてみる。
丈瑠が自室の障子に手をかけながら振り向いた。
「もっと大きな声で言え」丈瑠はにやりと笑った。
思案顔の彦馬の脇を黒子の一人が通り過ぎようとした。
「これ、どこへ行く? 茉子の部屋? 確かに茉子は泊まるがあの部屋は使わない。それからな、他の黒子にもしばらく殿の部屋には近づくなと伝えておけ」