PeachRedRum

高梨臨ちゃんのファンです

背中

第二十六幕後の殿茉子。

 

 

 十臓との戦いが終わったあと、丈瑠は傷を負ったため、しばらく稽古もできずにいた。

 稽古を彦馬と一緒に見る。千明は以前より腕を上げたようだ。流ノ介の剣は相変わらず流れるように美しく、ことはも一生懸命だ。茉子は…茉子も元々能力は高かったが、より成長している…だが、どこか違和感がある。普段の態度も明るく何も変わった様子はないのに。

「ジイ、茉子がおかしくないか?」

「実は茉子に口止めされておったのですが…」

 彦馬に全てを聞いた。茉子が薄皮太夫の過去を知り、太夫を斬ることに迷いが生じたこと。そのことでことはに怪我を負わせてしまい、強い責任を感じて、侍としての覚悟が足りないと料理本を捨てたこと。

十臓と戦うことに決めたとき、流ノ介は強く反対したが、茉子は丈瑠の背中を押すようなことを言った。あのときも口には出さなかったが意外な感じがしていた。

十臓を倒した後、彦馬は茉子が捨てた料理本を返したと言っていた。確かにあのときの茉子はにっこり微笑んで吹っ切れたように見えたとも。

 だが、目の前の茉子は…

 稽古が終わり、丈瑠が奥座敷のいつもの席でぼんやり考えていると、ことはが遠慮がちに話しかけてきた。

「殿様…あの茉子ちゃんのことなんですが」

「何だ言ってみろ」

「最近少し元気ないみたいなんです。ウチが太夫に斬られたことをずいぶん気にしてて気にかけてくれるんやけど、そんなん全然平気やのに…それに時々一人でいなくなってしまうんです。殿様、茉子ちゃんのこと、元気付けてやってもらえませんか? ウチには大丈夫としか言ってくれへん」

「そうか分かった」

 ことはも何となく茉子の異変に気付いていたようだ。

 まだ完全とはいえないが大分傷も癒えてきたので、茉子を探しに外へ出た。

 そのとき、黒子が近づいてそっと耳打ちをする。春に流ノ介に請われて親睦を深めるために花見をしたことがあった。志葉の屋敷のすぐそばに桜の見事な公園。そこに茉子がいるという。茉子はすぐに見つかったが、今は緑に覆われた桜の木にもたれて眠っていた。そっと近づいた。胸のところに大事そうに抱えている料理本は多分彦馬が返したという本だろう。

 茉子はどんな家庭で育ったのか丈瑠は何も知らない。家庭や家族に対して強い憧れを持ってるらしいことをことはに聞いたことはあるが、茉子とまるでかけ離れたイメージでひどく驚いた。

 そっと茉子の隣に座る。公園は桜の頃とはまた違った趣があった。少しして茉子の体が丈瑠のほうに傾いて、茉子の頭が丈瑠の肩に乗る。

「…!」傷を負った右肩に衝撃が走る。

「…ん」茉子が目を覚ました。

「丈瑠、どうしたの?」

「何でもない」

「ていうか何でここに? 黒子さん呼ぼうか?」

「俺が勝手に来てここに座っただけだ」

「ことはが心配していた」

「あぁ、ことはに心配かけちゃうなんて、わたしもダメだなぁ。前にね、一度だけことはに弱音吐いたことあるんだ。だからかな、ちょっとしたことすごく気にするみたい」

「何で俺に言わない?」

「家臣の身分でそんなこと殿様に言えるわけないでしょ」

「…そんな事言うな」丈瑠がひどく傷付いた表情を見せたことに茉子は動揺した。

「ごめん、冗談だよ。殿とか家臣とかそういうんじゃなくことはのときも全然言うつもりなくて…でもどうして? もっと殿様として敬えって言うなら分かるけど」

「…」丈瑠は答えてくれなかった。

「帰らない? 手当てしなくちゃ」

「俺は茉子を元気付けるために来たのに、結局こうなるんだな」

「そう思ってくれてるだけでも嬉しいよ」

「帰ろう。みんなが待ってる」

「茉子、お前だってみんな心配してる。一人じゃないんだ」

 立ち上がろうとしていた茉子が、丈瑠の言葉に動きが止まった。

 

「…ありがとう」突然、茉子が顔を覆って丈瑠に背を向けて身を小さくして泣き出した。

(子供の頃からいつもこうして一人で泣いていたんだろうか?

俺には源太がいたけど、茉子は? 本当に俺は何にも知らないんだ)

丈瑠はそばにいて背中をさすることしかできなかった。

 

 しばらく時間が経ったとき、茉子は立ち上がり、「ごめんね。一人で立てる? 背負ってあげようか?」と言って丈瑠の顔を見た。茉子の目は赤くなっていたが、いつもの笑顔に見えた。

「…歩いて帰れる」

「じゃ帰ろっか」

「あぁ」

やっぱり元気付けられたのは俺の方かもしれないな。丈瑠は大切そうに料理本を抱えて歩く茉子の横顔を盗み見た。