PeachRedRum

高梨臨ちゃんのファンです

「熱演」がお好き?

演技は、スポーツではない。俳優は、アスリートではない。

 

私はSMAPでは稲垣吾郎さんが一番好き!とこことは全然関係ないことを言ってみる^_^;…イヤ、たまたまツイッターエゴサーチして、吾郎ちゃんのことが語られていながらも、演技論的なものが出てきたので面白く読んだのです。20年以上俳優をしてる人と比べちゃいけないんだけど、この方の書かれている文章の以下引用。

 

 これは批評家と自称しているひとびとも含めて、ほとんどのお客さんがそうなんですが――それはたとえば、映画賞などの結果を見ても明らかなことです――、みなさん「熱演」がお好きなんですよね。より正確に言えば、ひとが一生懸命やっている姿が好き。おそらく、それは一生懸命やっているひとを評価することによって、自分がいいひとになった気がする――そのような錯覚をもたらす「習慣」に従っているにすぎなくて、演技の優劣を見極める意志をほとんど放棄していると言ってもいいかもしれません。

 「熱演」好きはなんといっても、わかりやすいものが好きです。激しいキャラクターを絶叫演技で体現している俳優や、深刻な情況にいる人物を陰鬱な芝居であらわしている役者を評価する傾向があります。自分の「想定」通りだとうれしいわけですね。「思った通り」に演じてくれた演じ手を評価するわけです。つまり、想像力を働かせずに、楽に眺められるものが「巧い」演技だと信じているひとが、どうやらたくさんいる。これは、役者側の技量の問題ではなく、観客側のまなざしの問題だと思います。彼ら彼女らは、その技術を有しているにもかかわらず、客に求められていないから、発揮できずにいるのです。

 あの男優が役のためにこんなに痩せたとか、あの女優が作品のために脱いだとか、そんなことはどうでもいいことで演技の本質とは何の関係もないことなのですが、そうした芸能ネタと同じように演技が扱われているような気がしてなりません。

 そして、どうも、演技を見つめるまなざしが、スポーツなどを見つめるまなざしと同一化しているような気がしてなりません。一生懸命やっているから素晴らしい――わけではないのが、演技の世界です。なのに「私、頑張ってます」というアピールに長けた表現がもてはやされることが、とても多いと感じます。

 

たまに「○○って棒(演技)だよな」みたいなのを見かけることがありますが、あれが私にはよく分からなったけど、こういうことだったのかな。演技は、自分が好きで見ればいいんだけど、今でも言っちゃうけど、シンケンの茉子の演技はもっと評価されてもいい!と思ってしまうのです。評価なんかされなくても自分が好きならいいんだけど。

 

一昨年、再放送の折に、全部ではないけどセリフ書き起こしもしてみました。茉子は、他のメンバーに比べるとセリフは少ないし、受けの芝居も多い。だから、口の悪い人は「空気」という表現もする。でも、あれはあの時点で演技経験のあった臨ちゃんじゃなきゃ出来なかったんじゃないかと思う。初演技みたいな人が出来るキャラじゃなかったような気がします。所詮素人の意見だけどね。寡黙な印象の殿もジイに対しては結構しゃべるし、ことはも6人でいると言葉を発しないこともあるけど、心の中ではおしゃべりなタイプだったし。

 

特撮ファンの人は、手あかのついてない新人を好みます。女性だとちょっとグラビアやってるようなスタイルのいい、かわいらしい女の子で、特撮が初演技。例え下手でも一生懸命やってるとこがいい!みたいな。その上、何十年経っても特撮こそ私の代表作と声高に言ってくれる人がいい、みたいな(大概の人は引退してるけど)。朝ドラのヒロインもそういうのを好む人が一定数いるけど、私はちゃんとしたドラマが見たいから、最近の特撮も朝ドラもド新人というよりは、朝ドラなどは特にある程度知名度のある女優さんを使うのは好ましい傾向です。朝ドラは20代~40,50代を演じることもあるから経験のある女優さんの方がいい。

 

朝ドラは、主役以外にも脇を固める俳優さんが豪華だから新人の稚拙な演技もカバーされてるけど、特撮はほぼ全員が新人、みたいなこともあるから、昔の小林さんの脚本の作品もリアルタイムで見てないから思い入れも違って、今だったらもっとうまくできる俳優さんを使えただろうになーと思ってしまうのです(龍騎とかストーリーは面白いと思ったんだけど、ヒロインの女の子は最後まであんまり…、そしてその兄役の人もかなり重要な役なのに終盤のすごくシリアスな演技で笑ってしまった^_^; 主人公の先輩女性ジャーナリストも…だった)。

 

話を戻すと、シンケンジャーは流ノ介がどうしても目立つから、相葉くんすごいよねーには、もちろん私も同意なんだけど、流ノ介は『動』(さらに『静』の演技も割とあったけど)、茉子は『静』で殿を盛り立てていたと思うのです。