秋の終わり頃。赤桃←金。少し切ない系。
不覚…茉子は目覚めて自分の額に手を当てた。熱い。昨日から少し調子が悪いと自覚していたが、風邪をひいてしまったようだ。でも朝稽古があるから起きなくちゃ。茉子は無理に起きて着替えた。フラフラと部屋を出ると、ことはと鉢合わせになった。
「おはよう、茉子ちゃん…どうしたん?」ことはは茉子の異変にすぐに気付いた。
「ううん、何でもない」
ことは茉子の手を触り、びっくりして額に手を伸ばした。
「なんでもないってすごい熱! 休まなあかんよ」
いいの、いいのと茉子は廊下を歩いて庭に出ようとした。そのうちどやどやと流ノ介と千明がやってきた。ことはが事情を説明する。流ノ介と千明も口々に部屋に戻れと言う。そこに丈瑠がやってきた。
「稽古の邪魔だ。寝てろ」
丈瑠が冷たく言い放つ。茉子はおとなしく従うことにした。というよりもう限界だったからだ。自室の布団で休んでいると、太陽は徐々に高くなり、しばらくパタパタと足音が近づいたり遠のいたりしていたが、その音もやがてしなくなっていた。
ふと目が覚めて天井を見上げた。この家に来て、こんなにじっくり天井を眺めたことなんてなかったかもしれない。本当に木目が顔に見えるんだ、なんてぼんやり考えているうちにまた意識が遠のいた。
少し眠りが浅くなった時、ボソボソと話し声が耳に入って来た。丈瑠と…源太だ。何だろう、何を話してるんだろう。
「茉子ちゃん、寝顔も綺麗だな」
どちらかが額のタオルを冷たいものに変えてくれて、冷たさが伝わった。こんなことをしてくれるのはきっと源太。
「…あぁ」
「丈瑠、茉子ちゃんのこと好きだろ?」
源太ったら何を言いだすの? 茉子は起きて会話を遮りたくなったが、意識は完全に起きているのに体はまだ起きてはくれなかった。
「…好きだ」
丈瑠の口から初めて聞いた。
「お、ハッキリ言うんだな」
「茉子には言えないがな」
「何で?」
「そんな簡単に言えるわけないだろう」
「言っただろ、今」
「茉子は白石家を受け継いでいかなければいけない身だ」
「丈ちゃんは志葉家当主だからってか」丈瑠は応えなかった。
「二人は好きあっているんだろ? だったら案外簡単なことなんじゃねぇの?」
「何が」
「茉子ちゃんにたくさん子供を産んでもらえばいい」
「馬鹿か」
「ああ、俺は馬鹿だよ。サムライでもねぇし。でも自分の気持ち伝えられない奴も馬鹿だ」
そこからしばらく沈黙が続いた。
「うるさいなあ、目が覚めちゃった」茉子は目を開けた。
「ごめんな、聞いてた?」源太が額のタオルに手に取って、茉子の額に手を当てた。
「何となくぼそぼそ話し声が聞こえただけだからよくわからないけど、うるさかったよ」
「そっか。悪ぃな。…でも少し熱下がったんじゃねぇか?」源太は手早くタオルを絞り、また額に乗せてくれた。
「じゃ、俺、行くから」
「ありがとう」
「おう」
部屋には丈瑠と茉子だけになった。最初に口を開いたのは丈瑠だった。
「さっきの…聞いてたのか?」
「私は何にも聞いてない」
「…」丈瑠は茉子の額にあるタオルを取って手を乗せた。そして慣れない手つきでぎこちなくタオルを絞る。
「いいよ、そんなことしなくても」
「いいから寝てろ」案の定、絞り切れていない水気の多いタオルが額に乗せられた。
「私も丈瑠と同じ」
「?」
「わたしも簡単には言えない」丈瑠がそっと目を伏せた。
「やっぱり聞いてたか」
「当たり前でしょ、こんなところで。せめてわたしのいないところで話してよ」
「…」
「どうにもならないよ、こればっかりは。わたしも家を捨てられない。丈瑠に殿様の立場を捨てさせるなんてこともできるわけないし、してもらいたくない」
「…」丈瑠はなぜか複雑な表情を浮かべている。茉子にはそのときはまだ分からなかった。
「でも今だけこのままでいい?」茉子からも好きだと言えなかった。
「茉子…」
「あぁやっぱり気になる」茉子は起きてタオルを絞った。
「さっきの源太の見てなかったの? こうやって絞るの」まだ高熱で力が入りづからかったが、その要領を教えると丈瑠が代わり、布団に横になった茉子にきつく絞ったタオルで顔を優しく拭いてくれた。
「丈瑠…」茉子は何かを言おうとしたが、何も言えずに丈瑠に笑いかけた。丈瑠もまた茉子と目を合わせて笑った。
「似た者同士、なのかも」
「だな」丈瑠が顔を近づけた。茉子が目をそっと閉じる。
「全く何なんだよ、こいつらは」
茉子の部屋に食事を運ぼうとしていた黒子からお膳を半ば強引に奪って再び茉子の部屋に戻ってきた源太はあきれていた。丈瑠は茉子に寄り添うように眠り、茉子の手は丈瑠の頭に伸びていた。先に眠ってしまった丈瑠の頭をなでてるうちに茉子も眠ってしまったんだろうか…二人のイチャイチャしているところを想像してしまった源太は、とりあえずお膳を枕元に置くと茉子の手を布団にしまった。
似た者同士なんだよ、お前らは。どっちかがどうにかしないと永遠にこのままだぞ。源太は妙にイラついていた。茉子が本当に幸せそうな顔をしているのは丈瑠と一緒にいる時だ。そんなことここに来た時から分かっていたことなのに。クールな二人が普段見せない穏やかな顔で眠っているところを起こさないようにそっと部屋を出た。
「お、源太か、茉子の見舞いに来たんだが…」
「今寝てるから後にした方がいい」源太は流ノ介の肩を組んで廊下を歩き出した。
「どうしたんだ、源太」
「何でもねぇよ」
「なぁ殿はどこへ行かれたのだろう? さっきから見当たらないのだが」
「さぁな」
二人の足音は遠ざかり、二人は静かに寝息を立てていた。