第三十九幕の日の夜。
―――丈瑠、どうしたの?
島から帰ってきてからも丈瑠の様子は変だった。夕食もそこそこにすぐに自室にこもってしまった。丈瑠のことが気になったけど、話しかけるスキもない。部屋に閉じこもって考えるのが辛くなって、わたしは外の風にあたることにした。
公園の片隅にぽつんと見えるダイゴヨウの柔らかな光。丈瑠のことをよく知っている源太なら何か知っているかもしれない。ううん、誰かとただ話してみたいのかも。
「よぉ、茉子ちゃんも来たんだ?」
暖簾をくぐると源太の明るい声と先客。
「丈瑠…」
「何だよ、てっきり待ち合わせでもしたのかと思った」
源太はいつもと変わらない笑顔で迎えてくれたけど、丈瑠は源太の正面を陣取り、わたしの方を見ようともせず、黙ってお寿司を食べていた。
「まぁ座んなよ」
「…うん、でも帰ろっかな」
「なんでぇそりゃ」
「丈瑠は源太と話がしたかったんじゃないかな。わたしがいたんじゃ話しづらいかも」
丈瑠が少し反応を見せたように見えた。気のせいかもしれないけど。丈瑠はわたしには言えなくても源太になら何か話せるのかも。話せたらきっと丈瑠は楽になれる。そんな気がした。
「んなことねぇよ、だって丈ちゃんここに座って、『寿司』だけであとはぜんっぜんしゃべってねぇんだから」
「でも…」
「いいからいいから」
「じゃあ少しだけ」
源太の正面に座る丈瑠を避けるようにL字型の座席の少しでも離れたところに座ろうとすると、丈瑠が自分の隣をトントンと叩いた。
「こっちに座れってことみたいだぜ」
「…うん」
丈瑠の隣に座ってお寿司を注文した。源太はわたしにおしぼりを出すと、お寿司を握り始めた。
「今日は大変だったね」
「あぁ」
丈瑠と話すことは諦め、源太に話を振った。源太の笑顔になぜかほっとする。丈瑠に源太みたいな幼馴染がいてよかった、と常々思ってきたけど、わたしもこの笑顔にはずいぶん救われていたんだ、と実感した。
「さ、できた」
「ありがとう」
丈瑠は自分が食べ終わっても帰ろうともせず、じっと席についている。
「やっぱり源太に話があるんじゃないの? 私が邪魔なら…」
わたしは手を止めて、丈瑠の横顔を覗き見た。丈瑠は厳しい表情のままだ。
「…邪魔じゃない」
「そうだよ、茉子ちゃん。男二人なんて味気なさすぎ」
「…こんな時間に一人で出歩くな」
「何だよ、そういうことなら俺が送っていくし」
「だよね、わたしも子供じゃないんだし」
がた、と音を立てて丈瑠は立ち上がると、わたしの腕をつかんで立たせた。
「ちょっと痛いよ、なにするの」
「帰るぞ」
「えっ、まだ途中…」
「丈ちゃんは独占欲強いよなぁ」
源太がヤレヤレ、という表情を見せると、わたしたちを送り出した。
「ちょっと離して!」
無言でどんどん進んでいく丈瑠の手を思わず振り払ってしまった。どうしてこんなに勝手なの?
「なんで源太の屋台にひとりで来た?」
「なんでって…丈瑠のこと考えてたからに決まってるでしょ」
「…」
「わたしには何もできないの?」
少しだけ涙が出そうになったのを何とかこらえて言ったのに、丈瑠はそれでも無言だった。
立ち尽くしている丈瑠を見ていたら何だかむなしくなって、その場を離れようと歩き出そうとしたのに、丈瑠が腕を伸ばして、体を引き寄せると優しく包み込むように抱きしめられた。
「丈瑠?」
「何も言わずに今は傍にいてほしい」
丈瑠の声が耳元で聞こえて、自分の耳が赤くなっていくのが分かった。
「話せば楽になることもあるよ」
「…」
体を離した丈瑠に唇を塞がれた。初めは唇に軽く触れるだけ、それがどんどん深くなっていった。かなり長い間そうしていたのかもしれない。そのあと丈瑠にふたたび抱きしめられた。
「遅いからもう帰らなくちゃ」
急なことに照れもあって、わざと明るく言った。本当は離れたくなかったけど、いつまでもここにこうしているわけにはいかない。丈瑠は渋々といった感じで体を離したけど、手をつないできて、志葉邸へ向かう。
「いつも助けてもらってる」
「え…」
「何もできないなんて思うな」
「うん…」
本当は言いたいことがいっぱいあったのに何も言えなかった。丈瑠も答えてくれない。でも、さっきの丈瑠はすごく優しかった。
「俺から離れるな」
「うん」
「…それと源太のところに一人で行くのはやめろ」
「なにそれ」
「源太の屋台に行くのは俺と一緒の時だけだ」
さっきまで雲に覆われていた月が姿を見せた。満月じゃない欠けた月。だけどとってもきれい。いつか丈瑠が抱えている何かを知る時が来るのかな。わたしが空を見上げると、丈瑠も顔を上に向けた。その横顔をずっと眺めていたかったのに、丈瑠の顔が再び近づいて、また唇が重なった。