PeachRedRum

高梨臨ちゃんのファンです

白昼夢

二十四幕と二十五幕の間の殿茉子。

 

 

 夏。テンゲン寺から帰って来た丈瑠は少し考え込むことが多く、茉子は気にしていたもののそれをどうすることもできずにいた。(どうせわたしに言うはずもないし)他の家臣より若干距離を感じていた茉子は少し諦め気味だった。

 そんなある日、ナナシが現れることもなくつかの間の静かな休日を過ごすことになった。千明とことはは連れだって源太のところに出かけ、流ノ介は走り込みだ。茉子は自室で文机に向かい書をしたためていた。少しモヤモヤした気持ちはいつもこうして晴らしていた。天、風、それから火…やっぱり丈瑠のことを考えてしまう。

「ちょっといいか?」部屋の外から聞き覚えのある声がした。

「丈瑠? いいけど」茉子は慌てて『火』と書いた書をくしゃくしゃに丸める。

 障子が開いて丈瑠が顔を覗かせた。

「何してるんだ?」

「うん、ちょっとね」丈瑠を見上げた茉子はTシャツにショートパンツ姿でいつもよりリラックスした格好をしていた。白くて長い脚がなまめかしい。

「さすがだな」一瞬、茉子の脚に目がいった丈瑠が茉子の書いた書に目を移す。

「ううん、今日は邪念が入ってダメ。どうかした?」

「いや…やけに屋敷が静かだったから、誰もいないのかと思ってな」

「流ノ介一人いないだけでも静かになるよね」

「茉子」

「ん?」

「少しここにいていいか?」丈瑠がこんなことを言うのが珍しくて、茉子は少し戸惑ったが、努めて明るく答えた。

「いいよ」丈瑠が茉子の傍らに座った。

テンゲン寺の帰り楽しかったね」

 テンゲン寺で源太とともにお寿司をふるまった後、彦馬は浄寛和尚と積もる話もあって六人は先に帰ることになった。途中に海に寄って、少しだけ遊んだ。もちろん水着は持っていないので、パンツの裾をまくりあげて水を掛け合うくらいだったが、流ノ介も千明も源太もふざけ過ぎて結局黒子さんに着替えを持ってきてもらうはめになった。

「海なんて久しぶりで」

「俺もほとんど行ったことないな」

「侍修行ばっかりだもんね」

「千明は毎年父親や友達と行ってたみたいだけどな」

「千明らしい」茉子がくすっと笑みを浮かべた。

 少しだけ会話が途切れる。

「…それはなんだ?」丈瑠はさっきから茉子が手に隠し持っているものが気になっていた。

「ちょっと失敗しただけ」

「見せろ」

「嫌だよ」

 丈瑠が無理に茉子の手を開かせようと揉みあううちに押し倒すような形になった。

「悪い」言葉とは裏腹に丈瑠は動かない。

「悪いと思ったら早くどいて」丈瑠との距離が近くなって照れくさくて言葉がきつくなる。丈瑠は起き上がり、茉子の手を引っ張って体を起こして、体を引き寄せた。さっきより距離が近くなって茉子は自分でも顔が赤くなっていくのが分かった。

「見ないで。こんなことされたくらいで赤くなって…恥ずかしい」

 丈瑠が茉子の頬に手を置いた。丈瑠が顔を近づけてきたとき、茉子は自然と目を閉じていた。唇が重なり合う。唇が離れて茉子が目を開けた。真剣な顔をした丈瑠と目が合い、思わず目をそらした。

(どうしてわたしにこんなこと…?)

 丈瑠は今度は茉子のあごに手を伸ばし顔をあげさせた。もう一度唇を重ねる。さっきより長く深く。強く握っていた紙が落ちた。何で急にこんなことするの?と思っているのに受け入れている自分が信じられなかった。茉子の胸に丈瑠の手が置かれたとき吐息が漏れた。(これ以上、今はイヤ…)

 

「茉子ちゃーん、いてへんのー?」廊下の向こうからことはの声がした。

「姐さん、源ちゃんの寿司持って来たぜ」千明も一緒だ。

 

 急に現実に引き戻されて茉子が丈瑠から離れた。

「…みんな帰って来たよ」

 丈瑠は立ち上がって、座り込んでいる茉子に手を伸ばす。

「もうその手には引っ掛からないって」茉子は丈瑠に照れたような笑顔を向ける。

「…そうか」丈瑠は茉子の手から落ちたくしゃくしゃの紙を拾うと部屋を出て行った。

 

「茉子ちゃーん?」ことはが声がだんだん近くなるのを感じた。

「なあに、ことは」茉子も少しだけ乱れた髪の毛を慌てて直して部屋を出た。

 

 丈瑠は誰にも会わずに自室に戻ることができた。くしゃくしゃに丸められた紙を広げると力強く筆で書かれた『火』の文字。紙をきれいに伸ばしてそっと書に挟む。茉子の顔が近付いた時自分を抑えることができなかった。厳しい戦いが続く中、茉子に安らぎを求めた。何も言わずに丈瑠を受け入れてくれた茉子。(いつかちゃんと言えるまで待っててくれ)丈瑠は我ながらずるい奴だと自嘲する。

 

 あの後、まるで何もなかったかのようにふるまう丈瑠に茉子もその態度に倣うことにした。だけど時々目が合った丈瑠の目が妙に熱っぽく感じることがあった。何も言ってくれなかった丈瑠だけど、あれがわたし一人が見た白昼夢ではありませんように、茉子はふいに生々しく感じる丈瑠の感触を思い出し、そう願わずにいられなかった。