ドウコクを倒して、解散するまでの間。赤桃前提オールキャラ…ひたすら茉子愛され話。
ドウコクを倒して、みんなで喜びを分かち合った。その日の夜は布団に入った瞬間には眠っていた気がする。それからどれほど時間が経ったのか。まぶたを閉じてはいたが、障子から漏れる光が朝を告げていた。
だが、茉子の目は開かない。朝だ、早く起きなきゃ稽古に遅れる。意識ではそう思っているのに体が言うことを聞いてはくれなかった。
そんなことを考えるうちにまたうつらうつらしていたようだ。次に眠りが浅くなったとき、誰かに頭をなでられているのを感じた。…夢?
「茉子」
自分の名を呼ぶ優しい声に目が覚めた。目を開けると、茉子の頭に載せられた手がぴくりと反応した。茉子が手の主を見ると、そこには丈瑠がいつものようにあぐらをかいていた。
「丈瑠?」
「悪い、起こすつもりはなかった」
「どうしてここに?」
「茉子が起きて来ないからだ」
「ごめん! 稽古に遅れたんだね」
起き上がろうとした茉子を丈瑠が制した。
「みんなまだ寝てる。ドウコクを倒して三日間、眠り続けてるんだ」
「え?」
「あまりにも暇だったから寝顔を見に来た」
丈瑠は大きな手で今度は茉子の頬を優しく包み込んだ。
「まだ傷も癒えていない。ゆっくり休んでろ」
丈瑠の言葉に茉子は驚いた。「丈瑠じゃないみたい。何だか…優しい」
「どういう意味だ」言葉はいつも通りだったが、丈瑠はまっすぐ目を見て優しくほほえみさえ浮かべている。
「茉子はハワイに行くのか?」
「うん…そのつもり」茉子はずっと気になっていたことを口にした。
「丈瑠は姫様と一緒に暮らすんでしょう?」
「姫…母上なら元の屋敷に戻った」
「どうして?」
「母上には母上の暮らしがある」
「丈瑠と姫様の養子縁組は形式的なものだと思ってた」
「どういうことだ?」
「今はまだ姫様も若いから夫婦にならなかっただけでいずれ…」
「違う」
「なら親子で一緒に暮らせばいいでしょう?」
「母上と俺が決めたことだ」
志葉家を離れるときが自分の想いを断ち切るにはいい機会だと思っていたのだ。
「茉子…」丈瑠の手が茉子の頬をなでた。
「母上に俺には心に決めた人がいる、と言っておいた」
「姫様は何て?」
「言わずとも分かっていたみたいだ」
ふっと丈瑠が笑うが、すぐに真面目な顔になった。
「だから早く戻って来い」
「まだ行ってもないのに」
茉子は布団から手を出し、丈瑠の手に重ねた。
「でもありがとう。待ってくれてる人がいるって嬉しいものね」
丈瑠も茉子も照れくさくて、それ以上何も言えなくなってしまったが、見つめあった目も重なりあった手もいつまでも離れそうになかった。
その頃、「ふぁ~」と大あくびをしながら、志葉家の廊下を歩く男がひとり。「まさか三日も眠りつづけていたとはなぁ」頭をボリボリかいて、周囲の様子を伺う。
「それにしても静かだなぁ…みんなもまだ寝てるのか?」
「丈ちゃ~ん」呼んでは見たが、その声は屋敷に虚しく響く。
二人は遠くから聞き慣れた声が聞こえることに気付いた。
「こっちに来るぞ」
「…丈瑠の名前を呼んでるのに?」
丈瑠の部屋と茉子の部屋はまるで離れている。「あいつは来る」
(…ん? 茉子ちゃんもまだ寝てるかな?)
丈瑠の部屋に向かって歩いていた源太は、引き返した。忍び足だが、微かに足音が近付いてくるのが分かる。
さっきまでの柔らかい表情から一転、丈瑠はショドウフォンを取り出し、閉の文字を茉子の部屋の入口に放つ。間もなく茉子の部屋の障子に人影が現れた。そっと障子に手をかけるが
「…開かない」
「源太、いくらお前でも俺の邪魔は許さないぞ」
人影の動きが止まる。「丈ちゃん、いたのか?」
「茉子はまだ傷も癒えていない」
「丈ちゃんならいいのかよ」
茉子は起き上がり、源太に呼びかける。「源太、今だけ丈瑠といさせて?」
人影があからさまにがっくり来てるのが分かる。「…わかった」
足音が遠ざかって行く。
「ねぇ」珍しく甘えた声を出す茉子に丈瑠は動揺した。「稽古しよ! 体なまっちゃった。傷だって大したことないから」
「…あ、あぁ」
茉子が丈瑠の顔を覗きこんで笑う。「変なこと考えた?」
「変なことじゃない。男なら普通のことだ」
「開き直るんだ?」
「一緒にいられる時間も限られてるし、さっきみたいにいつ邪魔者が来るか分からないからな」
丈瑠は立ち上がり「さっさと着替えろ」と言い残して部屋から出ていく。
「やっぱり丈瑠って真面目だな」
茉子は立ち上がり、障子を開けて外を眺めた。茉子の部屋から直接見えないが庭から源太の声がする。丈瑠と何やら話しているらしい。まだピンと来ないけど、もうすぐこの生活は終わる。「丈瑠」・・・あと何回言えるかな。茉子は再び障子を閉めると急いで着替え始めた。
その次の日の朝もいつものように稽古着に着替えて外に出ると、庭木に雪が積もっていた。庭の雪は明け方から黒子が庭の隅にきれいに片付け、土が見えていた。そこで丈瑠と流ノ介がすでに手合わせをしていた。
「おはよう、茉子、遅いぞ」
流ノ介もすっかり回復したのか前にも増して元気になっている。丈瑠は今までと変わらず寡黙で稽古に励んでいた。そのうち、千明やことはも起きてきて、いつも通り稽古が始まる。
ドウコクを倒した今、そんな必要はない。誰もが分かっていたことだった。彦馬ですら、ゆっくり体を休めろと言ったくらいだ。だけど幼い頃から染み付いた習慣は、稽古嫌いの千明ですら簡単になくせるものではない。
稽古がひと段落して、ことはと縁側で談笑していると、丈瑠が茉子の隣に座った。昨日の今日で少し意識してしまった茉子だったが、丈瑠は、些細な言いあいをする流ノ介と千明を眺めているだけで、茉子の隣にいることをとりたてて意識している様子はない。茉子は自分だけが変に意識していることが恥ずかしくなり、かまわずことはとしゃべっていた。
「…茉子は変わらないな。昨日の俺は相当頑張ったんだがな」流ノ介や千明に視線を向けたまま、丈瑠が独り言のようにぼそりとつぶやく。
「ことはー、ちょっと来いよ」千明がことはを呼んだ。
「茉子ちゃん、千明のとこ行ってくるわ」
「う、うん」丈瑠に気をとられていた茉子があわてて返事をした。
さっきまで言い争いをしていた千明と流ノ介がことはを交えて庭の隅に積まれた雪を丸めて雪合戦を始めた。それを眺めながら二人は視線を合わせない。
「…やっぱりあれ夢じゃなかったんだ」
「夢? 何だそれは」
「丈瑠が今までと違ってあんまりにも優しいから私の見た夢だと思ってた」
「もう後ろめたいことは何もないからな」
「丈瑠…」茉子は丈瑠を見た。
丈瑠は相変わらず流ノ介たちの方を向いていたが、いささか照れているようにも見える。
「それにしてもそんなに俺はひどかったか?」拗ねたような言い方に茉子は笑ってしまった。
「よーっす!」庭から源太が入ってきた。雪も降る寒さだというのに、相変わらず源太はすし屋の半纏にハーフパンツ姿だ。
「こら源太、そこから入るなといつも言ってるだろう」
「細けぇこたぁ気にすんなって…お!」
源太が丈瑠と茉子に気付いて言う。
「朝っぱらからお熱いねぇ、お二人さん」
見つめあって笑いあっていた縁側の二人はあわてて目をそらす。
「源ちゃーん、邪魔しちゃダメだろ」
「そうだぞ、源太。いくらなんでも無粋だ」
「そうや、源さん」ことはは本気で怒っている。
「でもなー、ちょっと幼なじみとしちゃ悔しくもあったりしてな。茉子ちゃんのこともちょっと気になってたしよ。流ノ介はどうなんだよ?」
「私は茉子が幸せならそれでよいのだ。茉子の前ではせめてかっこいいままで去りたい」
「そもそもかっこいいとか思ってねぇから」千明が茶化す。
「なにぃ?!」
「流さんも千明もやめてよ。ウチも流さんと一緒や。茉子ちゃんの幸せそうな顔見てたらウチも幸せになれるし」
「ことはちゃんは茉子ちゃん大好きだもんな」
「うん」ことはのきらきらした瞳に千明はショックを受けた。結局この1年ことはの瞳に映っていたのは茉子だったのか…。
「茉子ちゃん」
ことはが手を振る。茉子も手を振り返す。ことはがとびっきりの笑顔で返した。
「こんなに当たり前のことがもうすぐできなくなるなんてね」ことはに笑顔を向けながら茉子が言う。ことはに向けて振っていた右手を下ろすと丈瑠が左手を重ねてきた。
「やっぱり丈瑠、変」茉子は恥ずかしくて下を向く。
「冷たい手だな」丈瑠の大きな手が茉子の手を包み込んだ。
「俺は変わってない。これが俺の気持ちだ。
「はて? 今は稽古の時間と聞いておりましたが…?」背後から彦馬が現れて、丈瑠はあわてて立ち上がる。
「お前たち、休憩は終わりだ。もう少し稽古するぞ」丈瑠は庭に下りていく。千明や源太がブーブー言っている。
「今度は人目のつかぬところ、でな」彦馬が茉子に耳打ちする。
「はい…」真っ赤な顔をした茉子が消え入りそうな声で返事をした。